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ニートが働いたかもしれないブログ。

無職ひきこもりニートを10年プレイしたひとの妄想劇ブログ。

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ニートが語る大学という終着駅(仮)③/『学校へ行く意味とは?』その禁忌を考えてしまった。

来るべきものは必ず来る。

 

来るべきものは来なければならず、それをいたずらに先延ばししたところで、それは結局、「最悪の状態で最悪を迎える」ということを未来に対して決定したに過ぎない。

我が闘争アドルフ・ヒトラー

 

遂に学生期間という名の青春時代は終わりを告げ、

労働兵として社会に出征する時期となってきた。

 

もうあとは死ぬまで働くだけ。

 

そんな風に悲壮感たっぷりだった。「いやいや人生はまだまだこれから何十年とあるんだよ?」だなんて思えなかった。

 

だってあとは嫌な「仕事」に半日以上もっていかれて、いや時には残業やらその事前準備などで結局のところは全て仕事で埋め尽くされるんだろうって。

 

そんなのは人生とはいえない。畜生だ。

 

13歳時の不登校期に実家の自営店の戦場を駆け回って鬼軍曹に叩かれながら労働の嫌さを味わった。

 

それから逃げるように高校大学と進んできていたというところもあった。

 

そしてそれも遂に終わろうとしている。

 

 

「学生」でさえいれば世界はそれについて「なにもいわなかった」。

 

 

教育期間だから。人が成長するための期間。投資の期間。世に出て稼ぐためか生きるための準備期間だから。それは当然で、むしろそうでないとこの世で戦っていけない。そのために教育をする。その期間だから。

 

小学生でも、中学生でも、高校生でも、大学生でも、「そこに居さえすれば」教育されているということになって、全ては良しとされる。

 

なにを学んでいるかなんて知らないのに。

 

「卒業免許」しか取れてないだなんて知らないのに。

 

そしてその免許が明確に何かを保証するわけではないのに。

 

 

 

思えば、なぜ学校に行くんだろうか?

 

 

 

それが「教育」だというのなら何を教育されたのだろうか。

 

教育が「世で生きるための術を身につけること」だというのならば何が身についたのだろうか。

 

 

小学校では、

読み書きや数字やその軽い計算などやこの世界の歴史や物理法則としての理科や人との共同生活を身につけた。

 

文章を読んで、あるいは書けることは、

 

人の考えを理解することや自分の意見を表出することにとって必要だった。

 

そして単に書いてあることを読み、思うことを書き記すことにとって重要で、ゲームにしろマンガにしろアニメにしろこれを楽しむのにも役に立つ。優秀な人が作り書き記したシロモノを読むと、「面白い」からやる気や活力を得られるし「何か役に立つこと」からはスキルやノウハウも得られる。さらには書くことで自分でも誰かに教えられ、あるいは共有できるから。

 

数字を知り、軽い計算をこなせることも、

 

やはり実用としてモノやお金の管理や計算などに使用した。

 

単に買い物する際のやり取りにも必要だし、「モノゴトをこうして数字言語化することで整理や管理や計算をしやすくする」ことがこれによって可能になった。

 

世界の歴史を知り、その流れを通覧することは、

 

この世界のことを知ることにつながった。自分の人生のコンパスにもなった。

 

自分がいる世界のことを。時代のことを。寝て起きてみたら時計も暦もない状況であってみれば「今が何時何分何曜日なのかがわからない」のだ。「自分が今どこのどんな世界のどんな場所に居て、何をしているのか」を知るのは自分の人生を考えることにも役に立った。目の前にすぐやることがある状況なら疑問など持たずそれを一生続けていればいいけれど、そうでないなら人生という大海を渡るための指針がいる。その1つには社会史や歴史は有用にはなりうる。

 

小学生レベルでも「何となくこの世界はこういう世界だ」とはわかるのだ。それがアフリカでコンドームを渡しても木にぶら下げるだけの人達を無くし、無思慮に生まれてすぐに餓死する子供たちを減らせる。

 

 

理科で科学反応を知り、それぞれの作用実験をするのは、

 

やはりこの世界では「どんなチカラや働きが存在しているのか」ということがわかる。

 

「火は神様が創っている」とだけしていれば「火が消えた理由は酸素がないからだ」とは理解できず、火が必要なのに火を起こせない事になってしまう。「火に水をかければ消えて、空気を入れると燃え盛る」という厳然とした科学法則を知ることは、この世界で生きていく上で有用極まりないことは特別説明をしなくとも明らか。なぜならそれが今の自分の物理的存在すなわち肉体が直接影響を受ける物理法則なのだから。つまり「自分の体はこの法則の影響下にある」わけなのだから知っていて損はない。

 

そしてまたこれも小学生レベルであっても「とりあえずこの世界にはこういった物理的な法則がある」と知ることは人類の共通認識を持てるという点で有用だ。宗教では絶対的な証明を行えないから喧嘩になるしね。

 

人との共同生活を敷くことは、

 

「人と人とが隣り合わざるをえない」この世界最大級の経験やスキル獲得になりうる。

 

人と人がスリ合わさった環境に置かれれば、すでに自分の意志だけは通らない。「じゃあその中でどうするのか?」という問題が生じる。納得させる、取引する、譲歩して借しをつくる、強要する、などなど、こうして人と人との関係性において生じる諸般の事情に対しての経験やスキルを獲得することができる。経験は広く活かされるし、スキルはそのまま使える武器となる。およそ人の世で人と関わる場合にこれらがまさしく「生きていく上で必要な術」となることもまた明白だ。

 

これは物理法則にも言えることだが、人と人との関係性の場合は「体」というより「心」の影響下にあるので、つまり物理法則ではなくコミュ力という法則下にあると考えられた。

 

 

こんなところがオレに与えた学校教育。

 

 

実際は人との出会いやなにやらで様々に影響はされるんだろうけれど、学校というものが目指す「教育」とやらを考えるとこんなところだった。

 

だって学校に行かなければいかないで、その時間はまた別のことをする時間が生まれるのだから「何かしらの影響」などは学校でなくとも起きるのだからさ。

 

では中学はどうか?

高校はどうか?

大学はどうか?

 

 

高等数学なんて要るかね?

 

 

どうなんだろう。

 

工学系のエンジニアたちには要るだろう。数学や科学は要ることだろう。

 

でもみんながみんな科学博士や技師になるわけではない。

 

まったくの全然。要らないことだろう。

 

 

この世界にはゴマンと職業がある。

 

 

小学生レベルにおいてならオールラウンドな全般教育も意味を成すだろうけど、

 

中学高校大学と10年間近くもそんなことだけしていて良いのだろうか?

 

この13歳から23歳くらいまでの10年間は人間にとって恐ろしく大事とされる時期なのに?

 

親が居て、まだ青少年期だから生活費や教育費を工面してもらえて周りに頼れる大人が比較的多いこの時期に。見た目が若いというだけで優遇してもらえるこの時期に。

 

すでに「自分のやりたい事をみつけさせて」その為のスキルアップをさせるべき時期じゃないのだろうか?

 

でもそんなに簡単にはそんなの見つからないよね。まだ10代やそこらで人生20年足らずの経験で人生かけてやれることなんて。

 

でもだからこそ「いろいろ自由に遊んで挑戦してそれを見つけていく」ことがいつだって必要とされるんじゃないのか。

 

そんな時期に「何に使うかもおよそ分からずおよそ専門的な職業でもなければ使うこともないようなことをとりあえずオールラウンドに覚えさせておこう」だなんて本当に必要だったのだろうか。

 

 

他にやることもないから仕方がない。というか学校に行ってなきゃ働かされるだけだし。

 

 

「学校」に行ってさえいれば「教育期間」と認められるから。

 

 

それが学校じゃなければ教育期間ではありえず、挙句の果てにはおよそ「教育」なるものは「学校」でなければ受けられないとまで信仰されるに至っている。

 

 

どうなんだろう。

 

 

学校に行かなくても教育はできるんじゃないのか。

 

 

文章を読んだり書くことはベストセラー小説や古典や体系論文を読むことでだって覚えられる。というか今日ではマンガやライトノベルでも覚えられるのだ。

 

そしてそれらは学校が無難に指定している教材よりも遥かに面白い。

 

なぜなら「自分に合ってる」から。

 

自分の好きな題材で自分の好きなキャラがいて自分を感動させて熱くさせるシナリオだから。そんなものは放っておいても勝手に覚えていく。幼児が言葉をまわりから自然と覚えるように。このことは数字や計算でも歴史でも科学でも同じこと。

 

とくに小学生中学生レベルと成ればなおのこと、サブカルチャー的なことで十分覚えられる。覚えられるというより、「知る」というレベル。

 

それが小学生中学生レベル。でもそれでいい。

 

どうせそれ以上を使う保証なんてないし。

 

ゲームでもマンガでも小説でも論文でも、厳密にテストで点を取るための答えは出せずとも、その「世界観」を知ることはできる。

 

小学生や中学生や高校生なんて結局この「世界観」程度にしか覚えてはいない。

 

「ああ、なんだかそんなことやったな~」程度にしか勉強のことなど覚えてはいない。大人になれば今現在の仕事で使うことしか覚えない。

 

 

つまり非常に無駄な時間だったなって思った。

 

 

 

あと残るのは「コミュ力」だ。

 

小学生ではやっぱりケンカもするし仲直りもするし、好きな子とか出来たり、ちょっかい出したり、あるいは気まずくなってもそれでも基本そこに居なきゃならないから仲直りしたり。

 

社会生活上に必要なコミュ経験はできた。

 

中学の時はみんなと価値観や話の内容が違っていくことに絶望して学校へ行かなくなっていた。気のいい友達もいたけど、結局は分かたれた。

 

高校では自分を隠し通した。16歳から18歳の本当に多感で大事な時期の3年間を自分を隠すことにだけ終始していた。恥ずかしいし、傷つくし、怖いから。

 

大学ではようやく話が合う友だちが出来て、ギャーギャーと遊んだ。いろんなことを学んだ。

 

でも結局、これから労働先も違うし、やがて連絡つかなくなって、おしまいになる。

 

 

なんかこうしてみると「別に、小学生レベルでかなりのことを学んでいるんじゃないのか」って思って。

 

というか普通に中卒15歳で働きだしてもそんな経験は仕事場でできるし。あとは「慣れ」の問題で、そういう場所に居続けなければこの手の感覚は薄れていくというだけで。逆に居続ければもうそれだけでコミュ経験値になる。

 

 

この10年て「教育」という点では無駄なんじゃないのかって。

 

 

この世界で生きていくには、

もうこの世界は多様になりすぎていると思う。

 

昔みたいに「狩りをして身を守って暮らす」なんてシンプルなものではなくなってるから。

 

いや本質はその通りで同じなんだけど、

 

「狩りの内容」とか、

「身の守り様」とか、

 

複雑じゃん。

 

そのなかで学校が指定する昔々に决められた古めかしい数教科を6年も学んだ後に、更に10年も学ぶ価値ってどれだけあるんだろうかって。

 

やっぱり科学者や技師などに成るような、つまり日本の急成長の要である工業やIT関連に関しての職業に就くのであればそれで良いんだろうけど、そんなにみんなそればかりじゃないでしょ。工業という狩りスタイルだけじゃないでしょ。

 

 

でもやりたい事がわからない。

 

 

それを見つけようにも、

 

 

学校へ行っていなければ周りは生活費を出してくれない。

 

 

教育期間じゃなくなってしまうから。

 

 

だからなんだかんだと学校へ行って、それなりに学校指定のオールラウンド勉強をこなし、「その間にできるだけ遊んだり多くの経験をして」やりたいことを見つけていく。

 

これが現代の人間たちが生み出した教育スタイルなんじゃないかって。

 

そしてそうであるならば、

 

ただ言われるがままに「古めかしいだけの学校指定なオールラウンド勉強だけして」大学にまで進学してしまったオレのどれだけ馬鹿なことよ。

 

 

もっと遊んでおけばよかったのに。

もっと人にはできない経験をこそすればよかったのに。

 

 

こんなことはうまいことやった者の勝ちだったのに。ただ言われるがまま、学校や世間に褒められるが、自分で考えもせず、やってきてしまったらこうなるよ。

 

彼らは自分が気にいることをやっている間だけ褒めてくれるだけだったのに。

 

だから褒めていただけだったのに。自分の授業を真剣に聞いているような気がするから。自分の授業のテストで点を取ってくれたら自分の価値が上がるから褒めていただけだったのに。それしか知らない人がそのことだけを褒めていただけだったのに。

 

「人生において優秀だから褒められていたんだ」と思ってしまった。

 

高卒たちからしたら大卒はその上位互換に考えることもできるけど、大卒たちからしたらみんな横並びの金太郎飴に過ぎないんだよね。早稲田大学とかは別としてさ。普通の大学出なんて、横をみればゴマンといるんだ。

 

 

だが高校や大学には「コネ」がある。

 

それはある種の責任として存在している。中学では実際的にはその時点で就職者を出すことを前提としていないのでそのコネがない。あまり。だが高校や大学にはある。

 

いわば「人生について何も説明も考えもさせずに乗り込ませてレール上を連れ回した責任としては、とにかくどこかの駅で降ろさなくてはいけない」から。

 

どこかの線路上にほっぽり出せないから。とにかく「どこでもいいから駅に降ろさなくてはならない」から。

 

それが仕事だからそれを怠ると公立の学校は税金を使えなくなるから。仕事がなくなるから。

 

だからそれだけは最低でも一応、形だけでもやらなくてはならないから。

 

そいつがその駅からどうなろうが、途中で絶望して駅に帰ってきて線路に身を投げ出そうとも知ったこっちゃないし、というかどうしようもない。

 

そいつにとってその駅からの道が合っているのかどうかなんて知らないけれど、とにかくどこかの駅には降ろさなくてはいけない。

 

だからそのための「コネ」がある。

 

高校にしろ大学にしろ、地元の企業や何かへの学校ぐるみでコネがあり、斡旋したり、話をつけたり、あるいは単に先生による診断や面談などの相談があるということが、

 

就職先への強いコネになりうる。

 

およそ小卒より中卒よりも、高卒や大卒が「この世で生きていくための術」としてお金を稼ぐための就職にとって有利な点があるとすれば、最たるものはこの点にあるんだ。

 

あるいはまた、

 

工業系の学校ならばやはりその手の就職先が有力となれるし、その学校が力を入れている教育に関連したスキル如何によって企業が求める人材とのマッチアップが行われてこれに有利と働くんだろう。

 

それは専門学校でもいいはずだけど。

 

 

では「大学卒業免許」の威力はなんだ?

 

 

「よくもまあ大学までこの16年間も世の言いなりで言われたことをやり続けてきましたね◎」

 

みたいなことなのか。

 

「素直にものごとをやってくれる能力」保証状。

 

とか?

 

「学校の先生が指定した問題を気に入られるように回答できる意を汲む能力を保証します。」

 

ということで。

 

 

お金を稼ぐ企業というのは戦国乱世を生き残っているところだ。

 

税金でその存在が保証されている公立の学校機関とは根本からして違う。それは絶対の競争世界を生き残っているところなんだ。

 

当然、それを率いて回しているのは優秀な人たち。

 

そして彼らが欲しいのは「肩を並べて同じレベルのビジョンを共有できる優秀な人材」か、「自分たちにはない別世界の異業種からの実績ある熟練者」か、

 

言いなりになって動いてくれる労働力か。

 

なんじゃないか。

 

大企業のトップでもそれが新興ベンチャーでない昔ながらの企業なら「ただそのポストを受け継ぐように就いただけ」だなんて管理階級たちがいるけど、

 

それならならなおのことそうだろう。

 

そんな「無能な経営者」と呼ばれる人たちになら更にこの要求は増すはずだ。

 

中途半端にバカな意見をもって勝手にバカに動いて余計な仕事増やして有能気分で下手に現場をかき回すやつよりは、

 

優秀な人材が指揮することに「黙々と従ってくれる労働力」が欲しいというだけなんじゃないのか。

 

自分が企業の採用担当になったらきっとそう思うよ。だって何百人何千人も見ていたら誰がどれだけどう違うのかなんてあまりわからないし、というかそんなに変わらないし、

 

ぶっちゃけ誰でもいいんじゃないのかって。

 

だって、たしかに名前が違うとか性別が違うとか部活が違うとかサークルが違うとかあるけれど、だいたい似たようなことしかしてないじゃないみんな。

 

やってきたことなんて、

つまり「たかが知れてる。」

つまり「高校や大学でできるようなこと」のみ。

つまり「みんなと同じ。」

 

 

「日本に生まれたけれど米ハーバード大学卒業してCIAに入って辞めてきました。」

 

 

なんていう「なにがすごいのかはわからないけど、とにかくなんかすごそうだ!!!!!」なんていう超優秀だとか意外性もないし。

 

二人三人のエントリーシートならいざしらず、

 

何十何百何千何万と見てたら正直違いがよくわからないし、

 

というか雇ってみないと何もわからないしぶっちゃけ。

 

でも日本では正規雇用はなかなか辞めさせられないし、となれば奴隷属性が一番安パイじゃん。

 

何かあればうまいこといって辞めさせればいいんだしさ。自主退職的な。それに関しても奴隷属性は有用だ。とにかく物分りがいいし言われたら聞いてくれる。

 

これが『大学卒業免許』の実態なんじゃないか。

 

 

この恵まれた「教育期間」を自分自身の成長にも当てず、

 

研究テーマも持たず、

 

人生のビジョンも持たず、

 

ただそれしかやることがないからというだけでやってきたオレみたいな人間にとって、

 

 

「言いなりになって動いてくれる労働力」=「大学卒業免許」

 

 

大学までの学校生活の末路なんてこんなものなんだよきっと。

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