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ニートが働いたかもしれないブログ。

無職ひきこもりニートを10年プレイしたひとの妄想劇ブログ。

志持つニートが一人でもやって来て読んでくれればOKだからニートアピールしてるだけやで。
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ニートがシャケ弁労働者した話(仮)③/もう働くのに飽きたかな。ループする世界で。

「シャケ弁労働者」の話

最初の一週間はそれでも不安になったりしたぞ。

 

さすがに。なんでも最初はそんなもんだけれど。最初に環境が変わるとそのイメージが悪い方へ行ってしまうタイプ。想像力豊かな人間はそのタイプである。想像できるからリスクも考えられる。とりわけ期待より不安のほうが目につくのだから。

 

最初の一週間を乗り切ると少し楽になり、

「もう少しだけ」と、

一ヶ月こなすと慣れてしまった。

 

 

でも自分は「工場労働者」というものにあまり悪いイメージは抱いていなかった。

 

というか憧れすらあったくらいだった。

 

 というのも工場という物自体は好きだからだ。

 

工業が好きなのだ。

 

農業も好きだ。

 

経済の歴史は政治の歴史でもあり人間の歴史でもあり、ひいては戦争の歴史でもあるから結局のところ「歴史」カテゴリーだからだ。

 

つまりオレは歴史好き。

 

 

産業革命期のような工場労働体験ができるのかも」と思えばそこまで嫌ではない。

 

そもそも21歳までの問題は「“生きがい”が無いから生きる理由がない」と言うものだったからだ。

 

 

ポンコツロマン大活劇バンピートロット」でもオイルモーレ工場で働いたもんだ。

 

毎朝自転車を漕いで朝焼けとともに工場に働きに出て、帰りはバーで一杯やって、給料で借りている宿に帰る。いい労働者ライフではないか。

 

だからある意味歴史体験プレイ感がある。

 

 

「キノコの工場」というのはなんともニアミスで違うような気はしたけれど。

 

農業なんだか工場なんだかといったニアミスと言うかアルバトロスくらいの僅差の感じだったけど。「バイオ系なんじゃないかなこれ」といったことだけれどもう慣れたから良いか。

 

しかしそれでも、

 

急に知らない環境にやってきて、

 

それなりな困難もある中では、

 

多少は不安になるけれど、

 

でもそれはもうあの「3ヶ月聖戦」と「死の旅」で経験したことだった。

 

カレーを食うのに「あんなに出るか?」というくらいため息をついた虚無感だったり、夜寝るときの暗闇が理由もなく不安であったり、旅の夜は「スターリン政治犯を丸裸にして水をぶっかけてシベリアの凍土に放置する」なんていう極刑をなんでかイメージして恐慌状態になったりと、

 

今にも足元が崩れ落ちていきそうな不安感の経験はもうしていた。

 

そしてそれが大体は「温かいところから寒い場所へ出たときの温度差」みたいなものであり、

 

そうでなくても結局のところは、

 

「やるだけやってダメなら仕方ないな(笑)」

 

と腹をくくってしまえればどうということがないものだという点に至っていたから、

 

だからこの工場での日々の最初の不安もどうということはなかった。

 

“死の旅”終わりの「兎に角なんでもやってしまえ精神」でやっていたから。

 

 

あの旅でとにかく、

 

「自分が今まで、いかに何もしてこなかったのか」

 

を味わった。

 

「だから何かしよう」

 

って思った。

 

「こうして働いて、シャケ弁でも食って、妹たちと新作ゲームをやるというのもいいかもなあ」

 

なんてことに頼ってやってみることにした。

 

働いて、認められて、給料が出て、買えて、楽しんで、

 

それでそれなりに色々なことがやれた。

 

 

でもこれって13歳の時からなにが違うんだろうか?

 

murakumo25.com

 

っていうことも思ったりしたのだけど。

 

働いて、ゲームして、休み前日にファンタをちびちびしながら夜更かしゲームする労働の日々。

 

働いて、ゲームして、ミランボカ・ジュニアーズトヨタカップ観戦する日々。

 

働いて、ゲームして、日本シリーズ観たり競馬でアドマイヤグルーヴを応援したりしていた労働と報酬の日々。

 

もう一度あの素晴らしさを身にしみて過ごすことが、「この20代でも叶った」ということなのだろうか。

 

あのすばらしい日々が、疑問を感じて、遂には要らなくなって手放してしまったけれど、「なんと尊い日々であったのか」という願いが果たされて、またこの手に舞い戻ったのだと。

 

喜ぶべきなのだろうか。

 

 

 

給料は手取り12万円。8時間労働。週休2日非正規雇用

 

 

だいたいそんなところか。安いといえば安いし、

 

だがオレみたいに実家暮らしであるならぜんぜんOKのリッチ給料だった。

 

無職引きこもりニートもいる状況で、

 

20代前中盤に月12万円入ってくるわけだから。そして家賃や光熱費もほとんどいらない。

 

仕事場にはもう慣れてしまった。

 

悪い労働条件だとはそんなには思わない。

 

クビになったり潰れたりしても貯金と経験は残るし、とりあえず今はそれでいいというわけ。

 

そもそもそんなところまでは考えてはいないんだ。

 

ただ「いままでどれだけなにもしてこなかったんだ」ということでこうして働いているわけだったから。

 

とりあえず働いたという点が数歩もの前進と経験値なのだし、

 

あの蜃気楼のように恋しかった報酬生活も満喫はできている。

 

 

というか餓死したって別にいいんだ。

 

 

いま「選択肢」があって、

 

それを「選んだ」ということが重要なのであって、

 

あるいは選ばなければいけない状況で、

 

選択肢がある状況では、

 

選ばざるをえないほど、

 

意外とあの旅のなかで「絶望してなかった」ということだから、

 

結局は何かを選ばざるをえなかったのだ。

 

そして選んだ。

 

それだけで、ある種の責任を果たしたのだ。自分の人生への。

 

だからその結果、

 

 

強制的に働けなくなって死ぬのであればそれはそれで本望なのだ。

 

 

なぜってもう「目標はない」のだし、

「生きがい」もこれと言って生まれなかったのだから。

 

 

日に8時間も拘束されていれば、

 

帰ってきても疲れちゃって。

 

代謝が良いからなのか夕寝しちゃうし、

 

少ししかゲームもできないし。

 

 

まあその少しだからこそ楽しめるというギミックはあるのだけど、

 

どっちにしろ他のことはほとんど考えられないよ。

 

アタマが疲れちゃってるから。

 

最初のときこそ「よーーしやるぞーー!!遊ぶぞーーー!!!」なんて言って新生活に活力を見出していたし、「今までやらなかった新作ゲームをやるぞ」何ていう目標もあったけれど、

 

それなりにやってると慣れてきた。

 

それはもう当たり前になってきたし、それなりに満たされてしまった。「なにかやる」という漠然とした何かでは、

 

これ以上具体的な現実生活のなかではもうその使用に耐えないみたいだった。

 

 

はたして、

 

 

 

このままこの労働を続けていていいんだろうか?

 

 

 

①もうすこしやってみる。

特に案もないし、今のところは働けるし給料も出るし、貯金は貯まるし、車なんかの高級品を買ってみたら何か変わるかもしれない。そうだ、金を使おう。

 

 

②もう辞めて他のバイトで経験と自由時間を増やす。

もっと時間の融通がきくバイトを始めよう。実家住まいで12万も要らないからもっと楽な時間でできる仕事をやりつつ、遊べる時間を増やそう。

 

 

③もう辞めよう意味ないよこれ。

同じ事ループしちゃってるよこれ。21歳のときと23歳の今はなにも変わらんよこれ。

 

 結局はこういうルートを辿って21歳の時にループしてくるというだけだったのだ。

murakumo25.com

 

少し遅くはなったけど、今から、

 

「好きなことを捜す」としよう。

 

23歳のこの今から。

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