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ニートが働いたかもしれないブログ。

無職ひきこもりニートを10年プレイしたひとの妄想劇ブログ。

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ニートがキノコ組み立てて正社員になった話(仮)⑥/こんな人間の人生を一番近くで一生見ていなくちゃいけないなんて。またループする世界。

「キノコ工場正社員」の話

29歳。あとなにしよう?

 

流石にマイホームは建てられない。この安月給では。23万円では。

 

と言うか要らないし、実家があるし、家庭持ちには例によってならないのだし。

 

給料は年々2000円づつアップして若い頃からの奉公の労をねぎらってくれる。

 

流石にまだ20代だからキノコ仕分け&底部カット現場の班長という以上には動かないけれど、まあ居心地自体はそう悪くない。気楽といえば気楽だ。

 

テキトーに外ヅラだけ合わせて、当たり障りなくしていれば、ノープロブレムな職場である。

 

やり甲斐もそう無いけれど、そこまでキツくはない。夜更かししないことを覚えてからは朝起きもそれほど苦ではなくなった。遊べる時間は減ったけど。

 

 

 

13歳の労働奴隷時代となにがどう違うのだろうか?

 

murakumo25.com

 

 

働いて、ゲームして、休み前日にファンタをちびちびしながら夜更かしゲームする労働の日々。

働いて、ゲームして、ミランボカ・ジュニアーズトヨタカップ観戦する日々。

働いて、ゲームして、日本シリーズ観たり競馬でアドマイヤグルーヴを応援したりしていた労働と報酬の日々。

 

 

やってることは「同じ」じゃないのか。

 

 

たしかに給料によってやれることは増えていった。

 

だが時間の制限もあるし、疲労もあるし、それほど発展していかない。

 

やったらやっただけで終わっていくよ。

 

と言うか別に、車も、美味しいもの食べに行くことも、WiiUPS4をためらいなく買えることも、

 

慣れてしまう。楽しいけど。

 

楽しいけど慣れてしまう。消費することには。

 

そして楽しくなくなっていく。恐ろしいことに。

 

5万円なら5万円の消費が普通になっていき、10万の消費ならそれが普通の消費になっていく。

5万のときには10万に刺激を求められるけど、つまりじゃあそれなら今度は15万の消費を求めればいい。

 

だが給料は年2000円しか上がらない。

 

というか、

こんなことでどんどん額縁だけを求め続けていたら、

どこまで行ってしまうのだろうか?

 

遂には100億でも慣れてしまうのではないか?

 

「それを目指している過程でいつか死ぬのだからそれで良い」とはいえ。

実際ここからどうやって目指すのか?

 

田舎のキノコ工場の班長で。

 

 

 

目指すことがない。人生で。

 

 

 

贅沢な話だけど。これが人生だからしょうがない。

 

「今ここで死んでも人生を恨むとか呪うだなんてことはまったく無い」ほど、良い思いをさせてもらったと思う。

 

最貧困国のそれを目の当たりにすれば、日本に生まれて、こうして消費を楽しんだ時間があるというだけで、

 

それらに比べれば幸福すぎて罰が当たるんじゃないと思うくらいに。

 

しかし「これからまだまだ自分が働いて生きていくには、さらなる欲求を必要とする」のもまた人生だった。

 

 

 

そのなかでゲームはあいかわらずその輝きを失っている。

 

 

「こうやって働いて、シャケ弁でも食いながら働いて、妹たちと新作ゲームでもして過ごすのもいいかもなあ」

 

このひと想いのあとの「もったいないことしたな感」の中では、またそれなりにそのありがたみを感じて楽しむことは出来た。

 

 

でもそれはあくまで「ありがたみ」なのであって「面白さ」ではなかったんだ。

 

 

自分自身を投影するRPGは自分自身に期待できなければ面白くもなんともなかった。

 

自分自身の将来を期待させるシミュレーションゲームも自分自身に期待できなければなんにも面白くなかった。

 

オレはゲームを自分の人生として遊んでいたのだった。

 

だからもはや「その道を蹴った」自分にはなにも期待していなかった。

 

「お行儀よく人の言うように社会の言うように労働して仕事について一生を終える」のも良いかもなあなんて思ってしまった自分の人生なんか

 

 

何にも期待できなかった。

 

 

こんな人間の人生を一番近くで一生見ていなくちゃいけないなんて。

 

人によっては良い状況だろうし、出世とか、キャリアアップとか、海外旅行とか、事業起こしてやるとか、

 

つまりそういった「世界観」の人たちならいろいろなことがまだ期待されただろう。

 

少なくとも目指せる物はあるだろう。

 

でもオレはもう無いかもしれない。

 

こういう人が悪いだなんてことはない。まったくそんなことなんて無い。

 

でもオレはそんなに興味がない。

興味がなかったんだ。

面白くはないから。

 

だから「そんな自分の」ファンにもなってやれないし、

「このひとの生き方を」頑張ってやれるほどには応援もしてやれない。

 

好きでもなんでもないから。

 

何度も言うが、「人のことはいいんだ。」人にはそれぞれ価値観、世界観、文化があってそれぞれの価値がある。当たり前なことだ。人様の生き死にの仕儀にどうこう言うのじゃない。なににせよ生きてることは立派なことだ。

 

 

人のことなんてどうでもいいんだ。

 

おまえの問題なんだ。

 

「オレがしてやれる人生」の問題なんだ。

 

 

色々やってみて、遊んで、と言ってもそこまで遊べたかは分からないけれど、こうして貧相で忙しいアタマで考えてやってみたことだけでは、

 

 

どうやら「生きがい」というものを手に入れられなかったようだ。

 

 

16歳の頃はこれに加えて「仕事」が嫌で、接客が嫌で、朝起きるのが嫌で、とにかく嫌だった。

 

しかし今現在はある程度慣れてしまっているからそこまでこの仕事自体は嫌ではない。

 

18歳くらいの時には似てる。「まあ更に嫌になったら死ねばいいか」と思って気楽に、「慣れた仕事をこなして妹にアニメを普及したり兄貴に本や飯をおごってそれなりに楽しんでいた時期」には似てる。

 

 

じゃあ18歳の時とどう違ったのだろうか?

 

 

その果てとして行き着いたあの時、

 

あの「21歳の死の旅」の後に「理想をすべて置いてきた」はずだった。

 

「理想はここに全て置いて行けるから、これからは何とも比べず、とにかく進めるだけ進もう」

 

としたはずだった。

 

しかし結局は、ある程度の年月を生きてしまえばわかることで、

 

「理想」は無くなりはしなかった。

 

全部は置いていけなかった。

 

その当初、重荷が軽くなって、足かせがなくなって、背負うものがなくなって動きやすくなっていたのはあくまで、あのときのオレが「今はまだそれは重いから」って預けておいただけだったんだ。

 

預けておいただけだったものは、また戻る。

 

今度は背負うのではなくて、掲げられるようになった時に、また戻るのだ。 

 

じゃあ持てるのか?

 

掲げられるのか?

今はその状態なのか?

それっぽっちの時間で?

今までそれを見つけるために探せた時間があったのか?

 

じゃあ18の時とどう違うのか?なんて言っている情況で?

 

 

その後の自分の人生を底の底まで考え抜いて、

 

「あの儀式」をこなして、

 

あれだけおよそ殆どの人が離脱しかねないようなアホだけどカッコ良かった「数百メートル全力疾走」をこなして、

 

清々しくって仕方がなくって、

 

その末に燃え尽きて、

 

「もう生きるだけ生きた」って、

 

命を投げるんじゃなくて、

 

「納得」まで自分自身が持っていって、

 

命を全うしようとして、

 

自分で自分の心を救って、

 

「それまでの人生で影響を受けてきた大切なものたちに恥じない生き方をしたぞ!!!!!!」

 

って本気で思えた生き方をしようとして、

 

だから自分を殺して、

 

終わらせて、

 

20の時にしたこの大きな大きな、

 

自分にとっては大きな大きなプライドの持てる決断の結果が、

 

 

またあの時と同じ状況だなんて。

 

 

いや、結果の末ならまだいい。

 

 

「なにが大事で」こんなことをやっているんだ?

 

 

なにが大事だったんだ

何のためにあそこまでオレは気高く在ろうとしたんだ?

自分を殺そうとするほどにそうであろうとしたんだ?

 

 

「好きになってやれない自分」のため?

 

 

ここまで来て、遂には全然魅力もなくなってしまった人間と一生付き合うためにオレはやってきてしまったのか?

 

 

 オレがおまえに全然期待できないのは、

 

「普通の人生」で「冴えない一般的な人生」だからじゃない。

 

何度も言うがそれは十分に立派だよ。

 

「オレが好きなことをやってくれない」おまえがつまんないんだよ。

 

 

何のために「オレ」なんだよ。

何のために吃音症を患って生まれて来たんだよ。

何のためのAB型身長175センチメートルなんだよ。

何のために幻想水滸伝が好きでドラクエが好きなんだよ。

何のために歴史が好きなんだよ。

何のために兄貴に手を引いてそこに連れて行ってもらったんだよ。

何のために大航海時代に世界を変えられたんだよ。

 

 

誰がやってもいいような人生をなんでおまえがやってんだよ。

 

 

「誰がやってもいい事」じゃない。「誰がやってもいいような人生」だ。

 

誰がやってもいい人生の苦しみをなんでおまえが受けてんだよ。

 

割に合わねえだろ。

誰が受けてもいい苦しみなら人にやって欲しいだろうが。

損だろうが。

 

そういう風にしか生きないんなら生まれてきたこと自体が損だろうが。

嫌なことばっか起きる人生なんか損しか無いだろうが。

 

じゃあなんでオレは投げないで踏ん張ってあのとき「命を全う」しようとしたんだよ。

 

損しないように生きるだけの人生ならビルゲイツだけが価値ある人生だ。

一番の金持ちだけが勝つ人生だ。

ビルゲイツに勝たせるためにオレは「命を全う」しようとしたんじゃない。

 

 

「これはオレだけの人生だから。オレだけの苦しみだから。それならまだいいよ。オレにしかやれないから。」

 

 

そう言ったからオレはおまえを応援してやってきたんだよ。

 

 

勝つためにやったんだよ。

 

 

やりたいこともないし生きがいもないけど呪って死にたくなかったからやったんだよ。

 

あれだけ素晴らしいゲームやマンガやアニメや歴史を見てきたこの人生が、

 

「影響されてきました」なんて言ってるこの人生が、

 

「なにもありませんでしたつまりませんでしたクソみたいに呪っています」

 

なんて最後に言いたくないからやったんだよ。

 

そういうものにしたくなかったからやったんだよ。

 

 

だからそれでもその最後に「死ぬまでなにかしていよう」って言った時、

 

 

「これからは好きなことだけしよう」って言ったんだよ。

 

 

なんでしてねえんだよ。

 

 

 

 

 

 

なんでしてねえんだよ。

 

 

 

 

 

①だが、続けるしか無い。

→「ニートが工場王をめざす」

 

 

②好きなことを捜すために辞める。

 

正社員労働では時間が取られすぎてしまう。

 

想像も挑戦も試行錯誤もただただ思いついただけで「やらずにしまっていってしまう。」それでユーチューブやネットサーフィンするほうが楽だからだ。朝が来れば工場に出て働いていれば生きていけて、それなりに消費する人生を過ごせるのだから、結局そうしてしまうだろう。そしてオレの場合はその情況に飽いてやる気を失って、枯れていくのだ。

 

 結局はこういうルートを辿って21歳の時にループしてくるというだけだったのだ。

murakumo25.com

 

少し遅くはなったけど、今から、

 

「好きなことを捜す」としよう。

 

29歳のこの今から。

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