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ニートが働いたかもしれないブログ。

無職ひきこもりニートを10年プレイしたひとの妄想劇ブログ。

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ニートが語る高校でニート仮面した話(仮)①/「なにもしない間だけ」は天才だった。

「自分ステルス時代」の話

「学校に行っていたって立派なニートになれるんだな」って、ぼくは思った。

 

 

なんだかんだで進学したのは「親父が怖かった」からかもしれない。

 

一度あの「16時間労働の戦場」に立って奮戦した経験と、更には「割りと早めにそこから出てしまった」ので嫌なイメージだけが増幅し、「労働環境に対する決定的な嫌気」が醸成されるに到ったという部分もあったのだ。

 

そこには長時間の労働体験と、やはり「親父のスパルタ」が存在していたからなおのこと、

 

 

「ここにはまだ来たくないなあ。」

 

ということになっていた。

 

 

ともあれ晴れて普通な高校生となったわけだった。

 

ただし新聞配達のバイトなどはやらされたけど。それはまあ友達ともやったりしてそれなりに「なんなんと」こなした。

 

 

ただ、受験戦争も終わってみると、やはりやることもないのね。

 

 

なんだか「これで3年間のライン作業が始まるぞ」みたいな心境であった。

 

高校は中学と違ってただ卒業はできないけれど、あってないようなもので「それなりにやっていればそれなりに卒業ができる」ということだった。

 

 

小中高大のなかで一番いらないのはこの「高校」だろうなあ。

 

とか思っちゃう子だから、

 

高校へは『高校ライフをしにいく』というだけだった。

 

 

あのあらゆるドラマの舞台となる高校ライフ。何でもかんでも高校生じゃないですかこの世界は。

 

みんな16歳とか17歳とか18歳やないですか。

 

大体はそうやないですか。そんな「天使たちの園」であるところこそ、この「高校学園」であった。

 

それを、

 

『自分を隠して3年間を過ごす』ことになろうとは、

 

このときはまだ知らない、

 

だなんて言えないほどわかりきっていた。

 

 

あらゆることに「チャレンジしなかった」し、あらゆることを「見せなかった」し、何かしようものならば粗が出るし、そしてそれは「叩かれて」「笑いものにされる」から。

 

 

人の評価を徹底的に気にしていた。

 

 

周りの目、

周りの評価、

周りがどう思うか、

周りになんて言われるか、

 

それを把握していた。

 

だからこそ、これまでうまくやってこれたから。

 

親父にド突かれて怒鳴られるようになってなのか、人の顔色をうかがう子に育ったのかもしれない。これは兄弟皆似たようなものでこの「親父教育」はなんとその打率10割を誇った。

 

徹底的に「人前では良くする」という意識が生存本能として焼き付けられ、「空気」に敏感でこれの把握にいち早く務めた。

 

だからなのか、子供の頃はとにかく社交的で、あるいはそれは子供のそれを越えて病的に社交的で、友達の親には必ず社交辞令的なことはやってのけ、取り入り、そして友達にも気を巡らせて配慮した。

 

一人でいたら「この輪の中に」ついていけるような空間も作ったし、でもそれは「ただ一人でいるところを他に見られたくないからただ近くに寄っているだけ」だとわかっていて、そうさせたものだった。

 

 

とにかくどれだけ最初に気づき、

 

良い条件を構築するか、

 

それは「周りの目」が全て教えてくれた。

 

 

このことが悲劇的であるのは、

 

「人の考えがわかる」からではない。

 

そんなものはわかっちゃいないし、もしそうなら一流のギャンブラーか何かになれる。

 

このことが悲劇的であるのは、

 

「悪いように思って気にしてしまう」からなのだ。

 

 

そしてやがて脅迫的なレベルに達してオレの行動を制限し始める。

 

 

「これをやって、失敗したら評価は下る。じゃあやらなければいいのか。」

 

 

恐ろしいまでの消極的な方程式が完成するのはそこまで難しいことではなかった。

 

「だから練習する」とか「だから努力する」とか、子供の頃に家で野球の練習をしていたときのようには、

 

この頃の思考は成り立たなかった。

 

そこは子供の頃のように簡単に「失敗」ができるものではなかった。

 

 

「失敗」は即死を意味した。

 

 

それは「死ぬほど恥ずかしい」ものに感じられ、それは自分の能力のすべてに渡って「低能」なものとして明らかにするものに感じられ、およそ人には成長だなどというものはなく、だから素晴らしい人とは「失敗」もなく、よって「失敗」をしたらば、

 

それすなわち「無能低能低級レベルの人種」であるということになった。

 

 

結果だけが重要であり、

 

そしてそれを招来させるのは才能だけであり、

 

つまりは天才だけだと。

 

 

失敗したら天才じゃなくなる。

 

失敗したら有能じゃなくなる。

 

 

あれだけ世に讃えられるような栄光を手にした人達はみんな有能な天才だったのに。

 

失敗はできなかった。

 

失敗しないための唯一の方法は、

 

勿論、

 

 

なにもしないことだった。

 

 

何もしなければ何故か評価を高くしていられた。

 

 

周りが勝手にそんな評価をしてくれたから。

 

 

そして効率的に「よく見えるように」だけしていれば、

 

だいたいそれで騙せたし、隠せた。

 

いや無関心になってもらえたという方が正確かもしれない。あるいは別に注目されないからやり玉にあげられることもないし、ただ他者のことを笑っていればよかった。これでオレに蔑視が向けられることはなかった。

 

オレはただ観ていれば良かった。観て眺めていればそれで時間は過ぎていった。

 

そうしていれば失敗もしないし、恥ずかしい思いをすることもないし、責められることもないし、咎められることもないし、またその情況を誰かに見られて評価を下げられることもなかった。 

 

「見た目」だけ良くして当たり障りなく何もしなければ評価は下がらなかった。

 

とにかくそうなるともうリスクしかなかった。

 

好きなことや、興味のあることや、家でしていることや、なにもかも、あらゆる情報が全て危険に見えてきて、

 

「それがどう捉えられて」

「どう思われて」

「どう言われるか」がわからないのに

 

 

失敗すら許されないとしたら、

 

ただただリスクになった。

 

 

空気すら読めなくなったら、あとはもう隠れるしかなかった。

 

 

そうはいってもまだこのときは、それなりに「慣れ」もあるのでうまいこと潜行して合わせて(そう思って)過ごすことは出来た。

 

ひきこもりやニートという状況にはならずに、高校生を続けた。

 

別にこれが特別嫌になったというわけではなくて、あくまでこの青春と呼ばれる感高い日々の中では、あの頃の思い悩みや息つまりもそんなふうに言い表せるという話である。

 

みんな多かれ少なかれそんなことは抱えているだろうし。

 

ただオレもそれに漏れず、あるいはそれよりは少し過剰気味に、深い接触を避けて当たり障りなく付かず離れず表面上で関わったりかかわらなかったりしていたのだった。

 

 

「だから」なのか、

 

 

部活もやらなかったし、

彼女も作らなかったし、

それほどの友達もなかった。

 

 

とりあえず学校に行っている間は話すし、休みの日もたまに遊びに行くけれど、この時の彼らが後々関わってくるということはなかったのだし。

 

ただそうしていなければ評価が下がるから、「そうした」というようなことであった。

 

それはアクセサリーのように、つけては外されて、

 

そしてやがてはメンテもされず、放置された。

 

お互いにとってそうであっただろうけれど。 

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