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ニートが働いたかもしれないブログ。

無職ひきこもりニートを10年プレイしたひとの妄想劇ブログ。

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ニートが語る大学という終着駅(仮)①/人生最後の楽園こそキャンパスライフ。

「学歴終着駅」の話

“正義の道”を歩いて大学生となった。

 

不登校で労働少年兵となったオレは、いつのまにやら「更生」し、正義の道を歩く聖者となって戻ってこれたのだ。

 

 

そこが「大学」であればどれだけ遊んでいても親はお金を出してくれる。

 

大人たちはそれが教育であり、未来に対する投資であり、自らもそうしてきたので、その道を認めて讃えてくれる。

 

なんだかんだ言っても遊んでいた。

 

日本では文系だなんて言ってカテゴライズされる学部だったけど、そして「文系は遊ぶ」だなんていわれる通り、やはりオレもほとんど遊んでいた。

 

だってあとはそれなりに「こなして」いれば「大学卒業免許」が取れるんだから。

 

もう一安心なのだ。受業だけ欠かさず出席してこなしていれば。この人生はとりあえず一安心なのだ。この免許があると何かと便利という話だけは聞いていたんだ。具体的にどうだというわけではないけれど、とにかく有利に働くらしい。

 

中卒よりも、高卒よりも、とにかく有利らしいのだ。

 

中卒よりも、高卒よりも

 

「頭が良い」からなのか、「そこまで行ける家の財力」なのか、はたまた「そこまで人の言いなりになれる奴隷根性」なのか、いやはや「人と共同生活をしてきた疑似社会経験」なのか、とにかく大卒と言うだけで評価されるらしいから。

 

オレが大学へ行けたのは

 

「家で黙々と勉強するしかやることがなかった」からで、「家に大学まで行かせてくれるお金があったから」であり、「目指すこともないから人の言う通りにやってみた」のであり、「自分を隠すことで人付き合いをかわし続けた」というだけだったけれど。

 

 

とにかく世の中はそれを評価してくれるらしい。

 

だからこの「大学卒業免許」は役に立つらしい。

 

でもそれはもう取れるから「あとはもう頑張る必要はない」とばかりに遊んでいた。

 

 

信長の野望コーエー)」の話に華が咲いた。

 

ここにきて話が合う同年代の友達ができはじめた。もともとこんな話は兄貴としかできなかったが、ここへきて知己を得た思いだった。

 

競馬の話もできるし、歴史の話もできるし、コーエーのゲームの話もできる仲間ができた。

 

なんだろう、「大学に来たから話が合う友だちが出来た」というものはあるかもしれない。中学や高校では居なかったが、よりこの手の話を好む奴らが集まってくるのが大学だったからと言うのでは決してなくて、

 

環境が変わったから単にシャッフルされたんじゃないかなって。

 

結局、「限られた箱庭世界」なわけじゃない。学校なんて。だからその時点で環境が固定化されてしまうわけじゃない。そしてそこにコーエーゲーマーがいなければ一生その話はできないというわけじゃない。普及しても駄目な場合。それを3年単位で過ごさなければいけないわけじゃない基本は。

 

「それはとんでもなく恐ろしいことだよなあ」って思って。

 

産まれたときから遊んできて、およそ年少期の記憶を同じくするような、同じ過去を共有できるような友達を、「クラス分け」という「聖別」によって永遠にも等しいレベルで「強制的に別離」させるこの箱庭学校という仕組みに戦慄を覚えるくらいだったけれど。

 

まあとにもかくにもそのシャッフルの結果に話のできる友達ができたということだった。

 

バイトの資金なんかで韓国に旅行に行ったり、イタリアで安いホテルにざこ寝したりの青春爆走ロードしたりの良い時代だった。

 

 

「本当の友達」とか「真の友」だとかそんなものは無くて、

 

「友達なんて環境が自然につくるんだなあ」

 

って。

 

それ以上でも以下でもないんだって。

 

それに幻想的な考えを抱いていたのかもしれないって。高校の時に「アクセサリーのように」だなんて穿った見方をしていたものだったけれど、その実はべつにそんな特別な考えなんか要らなくて、

 

ただ環境が変わったから別れるし、生まれるし、ってだけなんだ。

 

中学の時も高校のときも今現在連絡を取るような人間が居ないのは、「共有するものがないから」というだけで、「本当の友達じゃないからではない」のだとオレは思ったんだ。

 

話が合う、

趣味が合う、

部活が同じ、

家に帰る方向が同じ、

習い事が同じ、

クラスが同じ、

学校が同じ、

同じオンラインゲームをしている、

などなど……

 

「“共有”するものがないと何事もその関係は成り立たない」んだって。

 

これは恋人でも

夫婦でも

家族でも

兄弟でも

同僚でも

上司でも

部下でも

先輩でも

後輩でも

先生と子弟でも

マスターとパダワンでもなんでも同じことで、

 

そのひとつひとつに「固有の関係性」があるんだって。

 

本当の友達というものは無くて、ただ単に共有するものによってその性質が違うだけなんだとオレは思った。

 

高校生活を共にする場合にたがいに共有する物があったから存在した関係性も、通う学校も学ぶことも移動手段も移動範囲も生活スタイルも違えばもう同じものを共有できないからその関係性が消滅したと言うだけであって、

 

「どっちかが友達なるものをないがしろにした結果というわけではないんだな」って、オレは思った。

 

結局のところ、ここで遊んだ「良い奴ら」とも今では関係しなくなっているのだから、本当にそう思うね。

 

でも「あの時間は幸福なものだったんだなっ」て今でも思うよ。

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